小さなミエコたちの話 | 松本美枝子

序文

2021/01/22

私は今、75年前の大量破壊兵器の残骸を握っている。それは40センチほどのかけらなのに、ずっしりと重く冷たく、炸裂した衝撃によってできた形状は、禍々しい。なるほど、この破片だけでも、十分に人間を殺すことができるだろう。それらが、さらに今の私たちには想像しがたい火力、爆発を伴って、日立の町に4回も降り注いだことになる。

人生の中で、こんなものを手に持つ時がくるなんて、考えたこともなかったが、この街には、こういったものが未だに地中に埋まっていて、破片どころか不発弾でさえ、今も時々見つかるのだという。

わたしたちはいろんなことをすっかり忘れて、街の上に立っているのかもしれない。
2020年3月より始めた日立でのリサーチではさまざまな人と対話し、街を歩き、その中である一人の女性に出会った。
このウェブサイトでは、リサーチと対話、それに続く作品制作を通して、さまざまなことを想像していくことを試みる。
(2020年1月22日)

太平洋戦争における日立市の戦災

1945年6月10日 午前9時すぎ
1トン爆弾806発による攻撃 死者886人 全壊戸数1486戸
1945年7月17日 午後11時過ぎから約20分
軽巡洋艦による16インチ砲弾870発による砲撃 死者436人 全壊戸数637戸
1945年7月19日 深夜11時20分から翌20にかけて
1万3900発の焼夷弾による空襲 死者65人 全焼家屋約1万1000戸
1945年7月24日 午前9時すぎ
4.5トンの大型爆弾1発による攻撃 数人死亡

その他、散発的な、機銃掃射、艦砲射撃などの攻撃を受けた。

(参考文献|日立市郷土博物館「日立市の戦災」展示解説シートより)

想起する あるいは 日立市:2020年6月10日午前9時から

2021/01/22

想起する あるいは 日立市:2020年6月10日午前9時から
デジタル撮影、長時間露光